Endless Summer

日記や本の感想など

2023/10/09

5年住んでいる家から引っ越しを決めた。夫婦二人で住むために借りた今の家はほとんど自分だけが住んでいて、家賃がもったいないから。

今の家には転職のタイミングで引っ越しをした。二人で住んでいた千葉の家から都内に越して、二人とも都内の職場に通うはずだった。二人で暮らしたのは最初だけで、引っ越してしばらくすると妻は単身赴任になった。一時的な一人暮らしのはずがいつの間にか半年、1年と延びて、気付けばそれが当たり前になっていた。「人と暮らすのは向いてない」と言った。それでも今の家が二人の家だと言ってくれたから、何はともあれ拠点があればいつかはまた二人で暮らせると信じていた。

それからセックスレスがあり、コロナがあり、妻の躁鬱があり、不倫騒ぎがあり、そのどれもなんとかギリギリでしのいでは今日まで続いてきた。本当に紙一重だったと思う。ヒビが入って欠けた器を拾って直して、誤魔化して続けてきた。病める時も健やかなる時も二人で生きていくんだから、傷の一つや二つ当たり前だと、そうやって自分を励ましてきた。直るものなら何度でも直せばいいと。それでも少しずつ大きくなる会話のずれや、価値観の違いに気付いていないわけではなかった。ただ見ないふりをして、時間が解決してくれると思っていた。話し合いだってしなかったわけじゃない。ぶつかって仲直りして、それでもまた湧いてくる違いはお互いに慣れていくしかないと思っていた。

何年か前、妻との関係を人に相談したことがあった。その人いわく、問題には骨折のように時間をかけて治るものと、虫歯のように時間をかけるほど悪化するものがあると。自分の問題は後者だと言った。でも結局離婚には踏み切れず、内心でモヤモヤした思いを抱えながら今日まで来てしまった。愛かと言われれば分からない。情かと言われればそうかもしれない。思い出はたくさんあって、旅行先で買ったお土産一つで泣いてしまいそうになる。まだ離婚したわけでもないのに。でも二人の家を引き払うというのは、つまりそういうことなんだろうと思っている。今の二人を繋ぐ目に見えるものは何もない。指輪もしていないし。籍なんか入っていても何にもならない。確かなものがないとこんなにも心細いものかと思う。妻には1ヶ月くらい会っていない。

付き合った頃から乗り物が苦手で、パニックの気があった。躁鬱の診断をされた、と聞いたのは別居をした後だったと思う。クリニックに通って薬をもらって、飲んでは止めを繰り返すうちに段々と悪化していった。元気なことがあってもすぐに落ち込んで、回を増すごとに落ち込む時間が長くなっていった。会う頻度も落ちて、会っても元気のないことが増えた。励ましもアドバイスも届かないし、かえって逆効果になることが多い病気だと思う。見守ることしかできなかった。薬を飲ませたくても無理強いもできない。毎日様子を見られるわけでもない。近くにいないことが歯痒かった。そして、辛さを理解することも本当の意味ではできていないと思う。どうしても健常者には分からない。自分だって死にたいと思うことはあるし、はっきり言って生まれてこなければよかったと今でも思う。それでも妻の希死念慮は自分のものとはまた違っていて、段々と強くなっているように思える。それに常に寄り添うというのは自分も足を止めて一緒にぬかるみにはまるということだ。うつ病は簡単には治らない。でもこちらは身体も動くし楽しみたい。旅行も行きたいしいろんなお店にも行きたい。それも一人じゃなくて妻と行きたかった。病気の人はそういう気持ちに応えられない。自分はそれを我慢してずっと隣で溺れてあげることはできなかった。妻もそれに気付いていて、温度差が開いてしまったのだと思う。励ましているつもりが単に負担になっていたのかもしれない。

前回会った時に引越しの話を持ち出されて、それから会えないままもう物件を決めてしまった。話はしていたが早すぎたような思いもあって、どうしたらよかったのか何も分からない。理性的に考えれば妻とは別れて「普通」の人を探すのが正しいのだろう。でも寂しさもあれば、病気の妻を一人にしていいのかという思いもある。でも実際のところ捨てられているのはこちらかもしれない。妻は寂しいとも何とも言わず、淡々と相づちを打つばかりだ。やってはいけないと思っているのに、「向き合ってくれてない」とラインで言ってしまった。今は体調が悪いから、来週片付けついでに帰った時に話そうと言われた。何がなんだか分からず、ただ周りが自分の気持ちを置き去りにして進んでいってしまっているように感じる。何をどこから間違ってしまったんだろう。胸とお腹のあたりが苦しくてたまらず、文字通り吐き出すようにして書いた。